DPP-4阻害薬と類天疱瘡 – テネグリプチンの構造に注目した副作用リスク
DPP-4阻害薬の作用機序と種類
DPP-4阻害薬(いわゆる「グリプチン」類)は、インクレチンという消化管ホルモンを分解する酵素DPP-4(ジペプチジルペプチダーゼ4)をブロックする糖尿病治療薬です 。DPP-4は本来、血糖値を下げるホルモンであるGLP-1やGIPを素早く不活化しますが、これを阻害することでインスリンの分泌を促し、血糖を下げる効果を発揮します 。スルホニル尿素薬に比べ低血糖のリスクが少ないため、近年特に高齢の糖尿病患者さんに広く用いられています
現在利用されているDPP-4阻害薬には様々な種類があり、化学構造の違いでいくつかのグループに分類できます。代表的な薬剤とその特徴として、シタグリプチン(商品名ジャヌビアなど)はトリアゾールとピペラジン環を含む構造、ビルダグリプチン(エクア)はシアノピロリジン骨格(5員環のピロリジン環+ニトリル基)を持ち酵素の活性部位に結合するタイプ、サキサグリプチン(オングリザ)はビルダグリプチンと同様にシアノピロリジン構造を持つタイプです 。一方、リナグリプチン(トラゼンタ)はキサンチン誘導体(プリン骨格)で、酵素の複数の部位に同時に結合する特徴があります 。アログリプチン(ネシーナ)はウラシル様の構造(キノリンに類似した環状構造)を持ち、リナグリプチンと同様に非共有結合的にDPP-4に結合します。そしてテネグリプチン(テネリア)は特にユニークな構造を持つ日本発のDPP-4阻害薬で、J字型の“アンカーロックドメイン”と呼ばれる部分を有しています。この部分(1-フェニルピラゾール-5-イルピペラジン基)が酵素の深部まで入り込み強力に結合することで、シタグリプチンの約5倍もの高い活性を示すとされています 。テネグリプチンはピロリジン環(チアゾリジン環を含む)と複数の芳香環を組み合わせた五環性構造を持ち、DPP-4酵素の活性部位に強力に結合します 。このようにDPP-4阻害薬は構造の違いによって酵素への結合様式が異なり、作用時間や選択性に差が出ることが知られています 。
類天疱瘡(BP)の病態生理と自己抗体
類天疱瘡(るいてんほうそう、Bullous Pemphigoid; BP)は、主に高齢者に発症する自己免疫性の水疱性皮膚疾患です。皮膚の表皮と真皮をつなぎ止めている接着構造(ヘミデスモソーム)に存在するBP180(別名コラーゲンXVII)およびBP230というタンパク質に対して、自分の免疫が誤って抗体(自己抗体)を作ってしまうことで起こります 。BP患者さんの約85%でBP180のNC16Aドメインと呼ばれる部分に対するIgG自己抗体が検出され、この抗体価が病勢と相関することが知られています。自己抗体が皮膚に沈着すると、補体という免疫システムが活性化され、好中球や好酸球などの炎症細胞が集まります 。それらの細胞から放出される酵素により表皮と真皮の間の結合が破壊され、その結果として皮膚に水ぶくれ(大きな水疱)が生じます。 類天疱瘡の水疱は皮膚表面に張り詰めた大きな水ぶくれとして現れます。これらは「緊満性(水疱)」と呼ばれ、周囲の皮膚に発赤を伴うこともありますが、高齢者のDPP-4阻害薬関連のケースでは発赤など炎症が比較的少ないタイプも報告されています 。症状としては激しいかゆみを伴うことが多く、水疱が破れるとびらんや潰瘍ができます。診断には皮膚生検(病理組織検査)や血液中の自己抗体検査(例えば抗BP180抗体の測定)が用いられます。
DPP-4阻害薬と類天疱瘡の副作用リスク(報告数・疫学データ)
近年、糖尿病患者さんでDPP-4阻害薬の服用中に類天疱瘡を発症するケースが相次いで報告され、注目されています。日本の医薬品副作用データベース(JADER)の解析によれば、2004年〜2017年に報告された薬剤誘発性pemphigoid(天疱瘡類を含む)の症例769例のうち、最も頻繁に原因薬剤と報告されたのがビルダグリプチン(288例)で、次いでシタグリプチン(102例)、テネグリプチン(86例)、リナグリプチン(64例)の順でした 。これは報告件数ベースですが、DPP-4阻害薬がこの副作用に強く関連することを示唆しています。実際、統計学的手法(Reporting Odds Ratio, ROR)でもこれらDPP-4阻害薬と類天疱瘡との有意な安全性シグナル(リスク指標)の上昇が検出されています (Analysis of patients with drug-induced pemphigoid using the Japanese Adverse Drug Event Report database – PubMed)。また、利尿薬のフロセミド(64例)など他の薬剤も一部報告されていますが、件数ではグリプチン系が突出しています 。報告症例の多く(82%)は60歳以上の高齢者であり、性別ではやや男性に多い傾向(58%)がありました。
また、2013〜2017年の日本の高齢者医療データベースを用いた研究では、DPP-4阻害薬を使用している糖尿病患者33,241人中0.26%(88人)が追跡期間中に新たにBPを発症したとの報告があります。これは頻度として決して高くはありませんが、他の糖尿病薬使用患者に比べて有意に高いリスクであることが示されました 。特にビルダグリプチンおよびリナグリプチン使用群でBP発症リスクの有意な上昇(ハザード比それぞれ約2.4〜2.5倍)が確認されており、シタグリプチンやアログリプチンでは統計的に有意なリスク増加はみられなかったとされています。このようにDPP-4阻害薬全体としてBPのリスクが指摘されていますが、薬剤ごとにリスクには差がある可能性があります。
副作用報告の年次推移を見ると、類天疱瘡の報告は近年急増していることも明らかになっています 。これはDPP-4阻害薬の使用拡大や、この副作用への認知度向上による報告増加の両面が考えられます。幸い、報告症例のうち約66%は適切な治療により「回復または改善」に至っており 、致死的な経過を辿るケースは稀と考えられます。しかし高齢患者さんのQOLを大きく損ねる重篤な皮膚疾患であるため、この副作用リスクを十分認識した上で早期発見・対処することが重要です。
DPP-4阻害薬の構造と活性の関係(SAR:ピロリジン環、キノリン誘導体の役割)
薬の構造と作用(Structure-Activity Relationship; SAR)の観点から見ると、DPP-4阻害薬の分子構造の違いが薬効だけでなく副作用プロファイルにも影響を及ぼす可能性があります。DPP-4酵素には基質が結合するポケット(活性部位)がいくつか存在し、阻害薬ごとに結合の仕方が異なります。例えば、ビルダグリプチンやサキサグリプチンは第一世代の阻害薬とされ、分子中に含まれる「シアノピロリジン」基(ニトリル基を持つピロリジン環)によって酵素の活性中心に深く入り込みます 。このニトリル基は酵素の触媒残基であるセリン(Ser630)と可逆的な共有結合(シアノ基とセリンのヒドロキシル基が結合)を形成し、一方でピロリジン環の正電荷部分が酵素内の陰性部位と水素結合することで強力にDPP-4を阻害します 。つまり、ピロリジン環を持つこれらの薬剤は酵素に「かぎづめ」のように絡みつき、一時的に酵素を不活化する設計になっています。この構造のおかげで強力な阻害作用を示しますが、酵素側から見ると「DPP-4酵素タンパク質に薬剤が共有結合した複合体」が生じることになります。ある仮説として、このような酵素-薬剤複合体が新たな抗原となり免疫系に認識されてしまう可能性も指摘されています(後述)。
一方、シタグリプチンのような第二世代の阻害薬ではシアノ基を持たず、代わりにトリフルオロベンゼン環やトリアゾロピペラジン環などが酵素のポケットに結合します 。シタグリプチンは主に酵素のS2ポケットに結合し、S1ポケットへの結合は弱めとされています 。これに対し、リナグリプチンやアログリプチンは酵素のS1、S2に加えてS1’と呼ばれる副ポケットにも結合でき、結合の「手」が3〜4ヶ所に増えています。リナグリプチンは4つのサブサイト(S1, S2, S1’, S2’)に相互作用し、アログリプチンは3つ(S1, S2, S1’)に結合すると報告されています 。結合部位が多いほど酵素への親和性が高まり、例えばリナグリプチンはアログリプチンよりも8倍強力にDPP-4を阻害することが確認されています ( Insight into Structure Activity Relationship of DPP-4 Inhibitors for Development of Antidiabetic Agents – PMC )。
そして第三世代とも言えるのがテネグリプチンです。テネグリプチンは前述のように五つの環状構造からなる独特な形状(J字型)を持ち、その「アンカーロックドメイン」が酵素の通常のポケットを越えてS2エクステンデッドサブサイト(拡張ポケット)にまで深く差し込むことができます 。その結果、シタグリプチンよりも結合力が飛躍的に高まり強力な阻害効果を示し、酵素阻害活性はシタグリプチンの約5倍に達することが報告されています 。テネグリプチンの分子内にはピロリジン環に加え、芳香族環(フェニル基やピラゾール基)や含硫黄の五員環(チアゾリジン環)などが組み込まれており、疎水性の高いトリフルオロベンゼン環とチアゾリジン環が酵素のS1ポケット深部に結合します。同時にピラゾールピペラジン部分がS2ポケットをがっちりと捕捉し、酵素を「錨で固定(アンカーロック)」するイメージです。このような構造活性相関(SAR)の研究から、各グリプチンの分子構造上の差異がDPP-4酵素への結合のされ方に影響を与えていることが分かっています ( Insight into Structure Activity Relationship of DPP-4 Inhibitors for Development of Antidiabetic Agents – PMC )。興味深いことに、類天疱瘡のリスクに関してもこの構造の違いが関与している可能性が示唆されています。実際、シアノピロリジン構造を持つビルダグリプチン(共有結合型)や、多点結合型のリナグリプチンではBPのリスク上昇が報告されていますが 、単一結合型のシタグリプチンではリスク増加がみられないとのデータもあります 。テネグリプチンは多点結合型かつ強力な阻害薬であり、先述の通り国内副作用報告でも上位に挙がっていることから、その強力な結合様式がBP発症リスクに関係しているのではないかと考える専門家もいます。ただし、この点については今後の研究で機序を解明することが望まれます。
類天疱瘡発症の機構仮説 – テネグリプチン構造の影響は?
DPP-4阻害薬と類天疱瘡との因果関係について、なぜ糖尿病薬であるグリプチンが皮膚の自己免疫疾患を誘発するのかは現在も研究途上であり、明確なメカニズムは解明されていません 。しかし、いくつかの仮説が提唱されています。その一つは、DPP-4が免疫系において果たす役割に注目したものです。DPP-4は酵素としてインクレチンを分解するだけでなく、実は細胞表面抗原「CD26」としてリンパ球など免疫細胞上に発現し、サイトカイン(免疫伝達物質)やケモカインの調節にも関与しています ( Insight into Structure Activity Relationship of DPP-4 Inhibitors for Development of Antidiabetic Agents – PMC )。DPP-4(CD26)は例えばT細胞の活性化や炎症性物質の誘導に影響を与えることが知られており、その機能を阻害することで免疫のバランスが変化する可能性があります 。グリプチン服用により免疫寛容(自己に対するおだやかな免疫状態)が崩れ、BP180に対する自己抗体が産生されてしまうという見方です。特に日本人ではHLA-DQB1*03:01という遺伝的素因を持つ人でDPP-4阻害薬関連BPが起きやすいとの報告もあり、個人の免疫遺伝子と薬剤誘発要因の組み合わせで発症リスクが高まる可能性があります (Frontiers | Dipeptidyl Peptidase-4 Inhibitor-Associated Bullous Pemphigoid)。
もう一つの仮説は、DPP-4が皮膚の基底膜タンパク質BP180の代謝に関与している可能性です。DPP-4はプラスミン(タンパク質分解酵素)を生成する酵素の一部としても機能します 。具体的には、細胞表面のDPP-4はプラスミノーゲンという前駆体を活性化してプラスミンに変換する受容体として働きます。正常ではプラスミンがBP180を適度に切断し、120kDaや97kDaサイズの断片にすることが知られています 。ところがDPP-4阻害薬でこの経路が抑えられると、BP180の代謝や「シェディング(適度な断片化による排出)」に変化が生じる可能性があります。その結果、今まで露出しなかったBP180の一部が免疫に晒され、「新たなエピトープ(抗体の標的部分)」ができて自己抗体産生を誘導するのではないか、という考えです。実際、DPP-4阻害薬使用患者さんのBPでは、典型的なNC16Aドメイン以外の領域に自己抗体が向かうケースが報告されており 、酵素阻害によるBP180抗原の見え方の変化が示唆されています。
さらに、DPP-4阻害薬が皮膚細胞そのものに与える影響にも注目した研究があります。最近の実験研究では、サキサグリプチンやシタグリプチンがヒトの表皮細胞に対して上皮間葉転換(EMT)と呼ばれる細胞変化を誘導し、傷の治癒に関わる細胞移動を促進する現象が報告されました。BP180は表皮細胞の動きにも関与することから、グリプチンによるこうした細胞変化がBP180の発現や配置に影響を与え、免疫の標的になりやすくなる可能性があります。またDPP-4様活性を線維芽細胞で阻害するとコラーゲン産生が低下したとの報告もあり 、皮膚の構造維持に関わる変化も考えられます。これらはまだ仮説段階ですが、テネグリプチンのようにDPP-4を長時間かつ強力に占有する薬剤では、酵素系や細胞への影響がより大きく現れ、その結果として自己免疫反応が誘発されやすい可能性があります。実際、テネグリプチン含むグリプチン関連BP患者では、薬剤中止によりステロイドなしでも皮疹が寛解したケースや 、糖尿病患者全体の中でグリプチン使用者にBPが偏って発生していることも報告されています。もっとも、「グリプチン服用者であれば必ずBPになる」というわけではなく、他の誘因(皮膚の外傷や感染など)が重なって初めて発症に至るとも考えられています。現時点では「なぜ一部の患者でのみBPの免疫寛容が破綻するのか」完全には解明されておらず、今後さらなる研究が必要とされています (Frontiers | Dipeptidyl Peptidase-4 Inhibitor-Associated Bullous Pemphigoid)。
患者さんが知っておくべき注意点と対策
DPP-4阻害薬を服用中の患者さんは、類天疱瘡という皮膚の副作用がごく稀ながら起こりうることを知っておくことが大切です。頻度は高くありませんが(概ね数千人に1人程度 、特にご高齢の方や他の自己免疫疾患をお持ちの方では注意が必要です。服薬開始から発症まで数か月以上経ってから起こるケースが多く、ビルダグリプチンでは中央値で約508日(約1年4か月)後に発症したとのデータもあります。したがって、服用初期だけでなく長期にわたり注意を払う必要があります。
具体的に患者さんに気を付けていただきたい症状は、原因不明の皮膚の水ぶくれやただれ、強いかゆみを伴う発疹です。とくに腕や足、お腹などに硬く張った水疱ができ、その周囲が赤くなる・蕁麻疹のように盛り上がる、といった症状が現れたら、自己判断で放置せずに早めに主治医に相談してください。皮膚科専門医による検査で類天疱瘡と診断された場合、原因と考えられるDPP-4阻害薬の中止が検討されます。幸い、薬剤を中止しステロイドなど適切な治療を行うことで、報告例の約7割は症状が改善・治癒しています (Analysis of patients with drug-induced pemphigoid using the Japanese Adverse Drug Event Report database – PubMed)。中止後に血糖コントロールが悪化する場合は、医師がインスリンや他の経口薬への切り替えを判断しますので、自己判断で薬を止めたり減量したりせず、必ず医師の指示に従ってください。
まとめると、DPP-4阻害薬(特にテネグリプチンなど)と自己免疫性皮膚疾患である類天疱瘡との関連が近年示唆されています。薬の分子構造(ピロリジン環や複数環構造)が酵素への結合様式に影響し、それが副作用発現にも関与する可能性があります。とはいえ、この副作用は稀であり適切に対処すれば治療可能です。患者さん自身は必要以上に不安になる必要はありませんが、皮膚の異常に早めに気付き医療者に伝えることが何より重要です。日頃から皮膚の状態に注意し、「水ぶくれがおかしいな」と思ったら早めに受診するようにしましょう。医師もこの副作用を念頭に置きながら経過を見てくれるはずです。疑わしい症状が出現した際には遠慮なく相談し、適切な診断と治療を受けることで重症化を防ぐことができます。薬と上手に付き合いながら、糖尿病治療とご自身の健康管理を続けていきましょう。